瀬古 利彦(せこ としひこ、1956年7月15日 - )は三重県桑名市出身の元陸上競技・マラソン選手、陸上競技指導者。1970年代後半から1980年代にかけて宗茂・宗猛兄弟、伊藤国光、中山竹通、新宅雅也らとともに日本長距離界をリードした。 現役引退後はヱスビー食品スポーツ推進局局長を経て、2013 41キロバイト (5,612 語) - 2021年5月8日 (土) 06:07 |
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84年ロス、88年ソウル五輪男子マラソン代表の瀬古利彦氏(64)=日本陸連マラソン強化戦略プロジェク
トリーダー=が13日、都内でスポーツ報知の単独取材に応じ、コロナ禍で懐疑論が根強い今夏の東京五輪への
思いを明かした。瀬古氏は東西冷戦によるボイコットで、金メダルが本命視された80年モスクワ五輪に参加で
きなかった。「走って負けたら悔いは残らないが、走らないで負けるのは悔いが残る。許されるなら五輪をやら
せてあげたい」と、選手に心を寄せた。(取材・構成=細野友司、太田涼)
【写真】1980年の瀬古利彦…世界一の証明が欲しかった
忘れ得ぬあの日から、もうすぐ41年になる。80年5月24日。日本オリンピック委員会(JOC)がモス
クワ五輪不参加を表明。政治に翻弄(ほんろう)され、瀬古氏ら選手たちの“夢”は奪われた。当時は東西冷戦
。今回はコロナ禍が世界に、そして五輪に暗い影を落とす。
瀬古氏「僕たちは皆、出たかった。それを政治の力、“オトナの都合”で、理不尽にね…。走って負けたら悔
いは残らない。でも、走らず負けるのは悔いが残る。そして年々、悔しさは増すんですよ。だから今が一番、悔
しい。二度と選手をこんな目に遭わせたくはないね」
白血病を克服して代表権をつかんだ競泳女子の池江璃花子(20)=ルネサンス=にSNSで代表辞退を求め
るメッセージが届いた。9日の陸上テスト大会では、国立競技場周辺で反対デモが「中止だ中止!」と叫ぶ声が
こだました。「出たい」と言えない空気に、当時と似通ったものを感じる。
瀬古氏「当時は『五輪に行かせてくれ』というのは、最後の最後で柔道の山下君たちが言いに行ったけど、そ
れまでは言ったらいけない感じだった。今も同じですよ。『五輪やらせて』って言っちゃいけない雰囲気になっ
ている。(41年前の)“二の舞い”になるんじゃないか、って考えてしまう」
感染対策と、海外から数万人が集う五輪開催。両立に国民の不安が拭えないから懐疑論が根強い。そのはざま
で内定選手は苦しみつつも、五輪を信じ準備する。コロナ禍でスポーツの役割、そして社会に与える力は―。
瀬古氏「選手たちは走るのが仕事。仕事を奪われることほどつらいことはないから、許されるなら五輪をやら
せてあげたいと思うよね。今まで一度もスポーツを見て元気をもらったことがない、って人はなかなかいないん
じゃないか。苦難を乗り越えて勇気づけるスポーツの力が、免疫力を上げる“心のワクチン”のようになればい
い」
17年に、東京五輪マラソン代表選考の「MGCシリーズ」を創設した。これまで度々、議論を呼んできた代
表選考過程の公平性、透明性を担保。確かな力を備えた男女6選手が切符を手にした。今年2月には、五輪代表
を逃した男子の鈴木健吾(25)=富士通=が2時間4分56秒の日本新記録を樹立。次世代の強化が、着実に
進む手応えもある。
瀬古氏「同じことをしていたら、いつまでたっても同じまま。現場の指導者や選手の意識を変えるきっかけに
なれば、とMGCを始めたんです。選考大会で一発当たれば、ではなくて、3年かけて力を積んでいく。実力の
ある選手が選ばれたし、五輪も頑張ってほしい」
今年4月から、芸能界を代表するタレントを数多く抱えるホリプロと契約。今後はメディア出演をはじめ、多
様な活動を通して、マラソン界の人気向上へ一生走り続けるつもりでいる。
瀬古氏「もっともっと、陸上やマラソンのファンを増やしたい。(契約は)その一歩です。人生をマラソンに
例えたら、まだまだ15キロ地点くらいかなと思っているからね。活動の幅を広げて、もっと頑張っていきたい
」